沿 革
宗 派
真宗大谷派
宗 祖
親鸞聖人
誕 生
承安三年(1173) 4月 1日
入 滅
弘長二年(1262)11月28日
本 尊
阿弥陀如来(南無不可思議光如来・帰命尽十方無碍光如来)
宗 門
真宗本廟(京都 東本願寺)
聖 教
釈尊の説かれた「浄土三部経」
『佛説無量寿経』『佛説観無量寿経』『佛説阿弥陀経』
七高僧の「論釈章疏」
龍樹造 『十住毘婆娑論易行品』『十二礼』
天親造 『浄土論』
曇鸞撰 『浄土論註』『讃阿弥陀佛偈』
道綽撰 『安楽集』
善導撰 『観無量寿経疏』『往生礼讃』『法事讃』『般舟讃』『観念法門』
源信撰 『往生要集』
源空撰 『選択本願念佛集』
親鸞聖人の「撰述」
『顕浄土真実教行証文類』『浄土文類聚鈔』『愚禿鈔』『入出二門偈』
『浄土三経往生文類』『如来二種回向文』『尊号真像銘文』
『一念多念文意』『唯信鈔文意』『浄土和讃』『高僧和讃』『正像末和讃』
寺 院 概 要
当寺は、文禄三年(一五九四)三月、将軍家関東御入国の際、下総矢喰村(現在の矢切)の杉浦・近藤家等が釋順誓師を三河国刈谷郡(現在の愛知県刈谷市)より招聘して、下総矢喰村に一宇を建立し、光明山西蓮寺と号したと記録されております。その後、一九年を経た慶長十八年(一六一三)十月、松戸の永井両家の招聘で現地に寺地を移転して、今日に至っております。その時期は、慶長五年(一六〇〇)の関ヶ原の戦い以後、徳川家康公の天下統一が完成された頃です。
当寺の什物は本尊阿弥陀如来像は楠の材質で一木造作者は不明です。又、本堂内陣左側に掛けてある軸は東西分派時代の法主・教如上人の軸です。浄土真宗寺院では殆どが本願寺八代・蓮如上人の軸を掛けるのですが、大変珍しく当寺開基の文禄三年が東西分派した時代で、教如上人と何らかのかかわりがあるのではないかと想像されます。尚、現在の本堂は第十世釋宗禎師により再建され、嘉永四年(一八五一)の建築で約一世紀半の星霜を経ております。
西蓮寺の歴代住職は教育熱心で、江戸時代末期に、本堂で寺子屋を開き近隣子弟の教育に当たっていたと伝えられています。そして、明治六年(一八七三)には、近隣でいち早く同寺を仮校舎として松戸小学校(現中部小)が創立されました。境内には、教え子たちの手で高等小学校第二代校長「小林鎮一郎先生」の碑(筆子塚)が建てられ、松戸の変遷を今も見守っています。